始まり
1895年、一枚の革
LVMH の公式ページによれば、アレッサンドロ・ベルルッティは、19世紀の終わりに、30歳でパリに渡った、イタリア人の靴職人である。1895年に、継ぎ目の見えない、一枚の革の紐靴を作り、メゾンは、その姓を名乗った。Comité Colbert のページは、アレッサンドロをイタリアのマルケ地方の出身とし、最初は、イサドラ・ダンカンやヘレナ・ルビンスタインら、女性の客のために靴を作ったと書く。男性の靴は、ウィンザー公のために作り始めた。

家が続く
息子から、いとこへ
Comité Colbert によれば、1928年に、息子の Torello が家を継ぎ、「Berluti, bottiers de luxe」の名で、最初の店とアトリエを開いた。のちに、パリの26 rue Marbeuf に移り、今も、歴史ある店はそこにある。次の世代の Talbinio は、既製靴を始め、いとこのオルガ・ベルルッティが、芸術の面を加えた。家の人々と、オルガの役割は、別の記事で読める。
パティーヌ
1980年代、靴に色を
Comité Colbert は、1980年代に、オルガが、決まりの色を破る「パティーヌ」を生み出したと書く。LVMH の公式ページは、パティーヌで、アレッサンドロの靴に、無数の色合いを与えられると説明している。黒と茶が中心だった男性の靴に、色の重なりを持ち込んだ。

LVMH のもとで
1993年から
WWD JAPAN によれば、LVMH は、1993年に、ベルルッティを買収した。LVMH の公式ページは、2005年に、レザーグッズが加わり、2011年に、服が加わったと書く。Comité Colbert のページは、服のコレクションを作り始めたのを2012年とする。資料により、1年の違いがある。いずれも、靴の家が、服へ広がった節目である。
最近
五輪と、130年
LVMH の発表(2024年4月17日)によれば、ベルルッティは、パリ2024の開会式で、フランス代表の選手と監督の装いを担った。ミッドナイトブルーのウールのタキシードで、衿に、フランス国旗の色のパティーヌを施した。メゾンが、女性の服を手掛けるのは、これが初めてと、LVMH は書く。Designscene によれば、2025年1月23日に、創業130年を祝う催しを、パリのメンズ・ファッション・ウィークに開いた。
今、読むなら
ベルルッティの家族、靴の特徴、歴代のクリエイティブ・ディレクター、2026年の今は、別の記事で読める。


