Rossella Jardini(1994〜2013年)
魂を、守る
Il Post によれば、フランコ・モスキーノの最大の協力者の Rossella Jardini が、創業者の死の後、2013年まで、会社と創作を率いた。Jardini 本人は、Fashion Week Online のインタビューで、フランコと、1985年から、一緒に仕事をし、1994年からは、「彼の魂を、守ることに、身を捧げた」と語っている。
Numéro は、Jardini が、20年近く、ブランドの DNA を守りながら、シルエットを、現代に合わせたと書いている。この時期に、マドンナやレディー・ガガの舞台衣装を手掛け、2006年の、トリノ冬季オリンピックの公式の衣装も作った(Numéro)。
その後
FashionUnited によれば、Jardini は、ジェレミー・スコットの起用を機に、ブランドを離れ、2年ほどの休みの後、自分の名前のブランドを始めた。Jardini は、フランコには、「才能」があり、自分には「天職」があった、と語っている。
ジェレミー・スコット(2013〜2023年)
ポップカルチャーへ
Il Post によれば、2013年10月28日に、ジェレミー・スコットの起用が発表された。Jardini が、30周年への敬意と別れを込めた80点のコレクションを見せた、直後のことだった。CNN は、スコットの最初のコレクション(2014年)が、マクドナルド、ハーシーズ、バドワイザーなどの、アメリカの消費のロゴを、服に織り込んだと書いている。

CNN によれば、スコットは、10年間、劇場のような演出と、遊び心のある時代の読みで、知られた。マリー・アントワネット風の、小さなパニエのスカート、紙人形の模様、ビニールのプールの浮き輪を使った夜会服などがある。2015年の、スーパーボウルのハーフタイムショーでは、ケイティ・ペリーの衣装を作り、メットガラでは、カーディ・Bの、真珠の飾りのドレスを作った。
nss magazine は、スコットの時代を、最近の中で、最も商業的に成功した時期と書き、売上が、2012年の約1億5200万ユーロから、2021年の2億5800万ユーロ超に増えたとする。同じ記事は、その成功が、ブランドのファッションとしての個性を、薄めたとも指摘している。これは、同誌の見方である。
Davide Renne(2023年)
Fashion Dive によれば、Davide Renne は、2023年10月に任命され、就任の9日後の、11月に亡くなった。その後、クリエイティブ・ディレクターの席は、空いたままだった。
アドリアン・アッピオラーザ(2024〜2026年)
Fashion Dive によれば、親会社 Aeffe は、2024年1月30日に、アドリアン・アッピオラーザの就任を発表した。ウィメンズ、メンズ、アクセサリーを見る立場で、最初のショーは、2月22日に、ミラノの Museo della Permanente で開かれた。アッピオラーザは、10年間、ロエベの、ウィメンズのレディ・トゥ・ウェアのデザインディレクターを務め、その前は、クロエで、同じ役職だった。同誌は、フランコ・モスキーノ以降、5人目のクリエイティブ・ディレクターと書く。
Milano Finanza によれば、2026年6月19日に、Moschino は、アッピオラーザとの、2年間の協力を、双方の合意で終えたと発表した。アッピオラーザは、「重要なイタリアのブランドで、自分の創造性を表す、大きな機会を得た」と述べている。
見方
Jardini は、魂を守り、スコットは、ポップカルチャーで、売上を伸ばし、アッピオラーザは、歴史を学ぶ姿勢で、始めた。三者三様の、フランコの継ぎ方である。次の二人の時代は、別の記事で読める。


