窓辺の木の裁断台に広げた、生成りの綿布、型紙の紙、茶封筒、白いチョーク
HUBERT DE GIVENCHY

ユベール・ド・ジバンシィとは誰か──1952年にメゾンを開いた、背の高いクチュリエ

1927年にボーヴェで生まれ、1952年に自分のメゾンを開いたユベール・ド・ジバンシィ。修業の時代、バレンシアガへの敬意、ヘプバーンとの友情、1995年の引退、2018年の死まで。資料で確かめた事実を、順に読む。

文 Shiori Kinugasa | 公開 2026.10.27 | 更新 2026.10.28 イメージ画像(AI生成):アトリエの裁断台のイメージ(実在の場所ではありません)
派手さではなく、削ぎ落とす力で、顔を引き立てる。
その美意識が、メゾンの、最初の約束になった。

生い立ちと、修業

Wikipedia によれば、ユベール・ジェームズ・マルセル・タファン・ド・ジバンシィは、1927年2月20日に、フランスのボーヴェで生まれた。父は、1930年に亡くなり、母と祖母に育てられた。祖母の夫は、ゴブラン製作所やボーヴェのタペストリー工房の所有者だった。美術に関わる人の多い家系だった。

17歳でパリに出て、ボザールで学び、1945年に、ジャック・ファトのもとで、最初の仕事をした。その後、ロベール・ピゲやリュシアン・ルロンのもとでも働き、1947年から1951年は、エルザ・スキャパレリのもとにいた(Wikipedia)。Yahoo Lifestyle も、1947年に、スキャパレリのもとで修業を始めたと書く。

窓の光が差す部屋の木の棚に、象牙色と黒の布が畳まれて並ぶ
イメージ画像(AI生成):アトリエの布の棚のイメージ(実在の場所ではありません)

1952年、自分のメゾン

1952年に、自分のメゾンを開いた(LVMH、Comité Colbert、Wikipedia)。コルベール委員会の紹介ページによれば、その年に見せた「セパラブル」、つまり、建築的な線とシンプルさを併せ持つ、エレガントなブラウスと軽いスカートは、窮屈な装いが主流だった当時に、大きな成功を収めた。1955年には、最初のシャツドレスを発表した(同ページ)。Wikipedia は、初期のコレクションが、経済的な理由で、安価な生地を使いながら、デザインで関心を引いたと書く。最初のコレクションは、のちに「ベティーナ・ブラウス」と呼ばれる白いブラウスを含んでいた。

木の机の上の、型紙の紙が覗く古い茶封筒と、生成りの綿布
イメージ画像(AI生成):型紙の封筒のイメージ(実在の物ではありません)

バレンシアガへの敬意

Wikipedia によれば、ジバンシィは、1950年代に、憧れのクリストバル・バレンシアガと出会った。同じ記事は、バレンシアガの助言で、1970年代に、ライセンス事業を広げ、オートクチュールを守ったと書く。1956年には、パリのアメリカン・ホスピタルのためのチャリティで、バレンシアガと並んで、ニューヨークで、コレクションを見せた。これらは、Wikipedia のみの記述である。

ヘプバーンとの、40年

ジバンシィとヘプバーンは、1953年に、「麗しのサブリナ」の準備の中で出会った(Wikipedia、The Fashion Law、Yahoo Lifestyle)。The Fashion Law は、ヘプバーンが、ミューズであり、顧客であり、協力者でもあったと書く。Yahoo Lifestyle は、ジバンシィが、2018年の New York Times の取材で、ヘプバーンの顔を引き立てるために、服を削ぎ、清めたと語ったと伝える。

Avenue George V 3番地

コルベール委員会の紹介ページによれば、ジバンシィは、1959年に、パリ8区の Avenue George V 3番地の、旧オテル・ド・カラマンに、メゾンとアトリエを構えた。この邸宅は、1898年に、貴族で政治家のモーリス・ド・リケ(カラマン伯、のち公)のために建てられた。LVMH の公式サイトも、現在の本社を、3 Avenue George V と書き、ジバンシィがメゾンを築いた場所とする。同ページは、1969年のメンズ「Givenchy Gentleman」を、メンズファッションの基準になったと書く。

LVMH と、引退

1988年に、LVMH が、GIVENCHY を買収した。ジバンシィは、クリエイティブ・ディレクターを続け、1995年に引退した(Wikipedia、Yahoo Lifestyle、The Fashion Law)。

2018年

ジバンシィは、2018年3月10日に、91歳で亡くなった。FashionNetwork によれば、パートナーのフィリップ・ヴネは、AFP に、眠っている間に亡くなったと話した。メゾンは、ヘプバーンを、40年余りの友人でミューズと伝えた(AP)。

見方

資料で分かれる点

創業した時の年齢は、LVMH の公式サイトが24歳、Wikipedia、Marie Claire UK、The Fashion Law が25歳と、分かれる。この記事では、年齢を書いていない。バレンシアガとの関係など、Wikipedia のみの記述は、本文に、その旨を書いた。

1952年に始めた、組み合わせて着る服は、オートクチュールに、実用の考え方を持ち込んだ。メゾンは、その後、何人もの手を経たが、ブラウスと黒いドレスは、今も、ユベールの名前と、結びついている。

要点

POINTS
  • ユベール・ド・ジバンシィは、1927年2月20日に、フランスのボーヴェで生まれ、パリのボザールで学んだ。ジャック・ファト、ロベール・ピゲ、リュシアン・ルロン、エルザ・スキャパレリのもとで修業した(Wikipedia)。
  • 1952年に、自分のメゾンを開き、1959年から、パリの Avenue George V 3番地に、メゾンとアトリエを構えた。1988年に LVMH が買収し、1995年まで務めた(Comité Colbert、LVMH、Wikipedia)。
  • 2018年3月10日に、91歳で亡くなった。メゾンは、その死を、ヘプバーンとの40年余りの友情と共に伝えた(FashionNetwork、AP)。
この記事を書いた人 Shiori Kinugasa
参考資料:LVMH 公式「GIVENCHY」 https://www.lvmh.com/our-maisons/fashion-leather-good/givenchy Comité Colbert「Givenchy」 https://www.comitecolbert.com/en/members/givenchy/ Wikipedia「Hubert de Givenchy」 Wikipedia「Givenchy」 Yahoo Lifestyle「The History of Givenchy」 https://www.yahoo.com/lifestyle/history-givenchy-163000059.html The Fashion Law「Givenchy: A Brand-Building Playbook」(2025年1月1日) https://www.thefashionlaw.com/givenchy-personality-as-strategy-couture-as-system/ Marie Claire UK「Givenchy Autumn/Winter 2025: Sarah Burton's debut」 https://marieclaire.co.uk/fashion/givenchy-autumn-winter-2025 FashionNetwork「Hubert de Givenchy dies at age 91」(2018年3月) https://us.fashionnetwork.com/news/Hubert-de-givenchy-dies-at-age-91,956993.html AP「French couturier Hubert de Givenchy dies at 91」(2018年3月12日) https://www.fox32chicago.com/news/french-couturier-hubert-de-givenchy-dies-at-91 (確認日:2026年10月24日。生い立ちの細部は、Wikipedia に依っている。givenchy.com には、創業者の経歴のページが無く、LVMH の公式ページと、コルベール委員会の紹介ページで補った)

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