A.P.C. の前
ジャン・トゥイトゥは、A.P.C. を始める前に、ケンゾー、agnès b.、Irié、そして音楽業界で、働いていた。公式サイトのDenim FAQは、こう述べる。1987年の創業のとき、トゥイトゥは、ファッションを、内側から知っていた。百科事典は、ケンゾーでは、倉庫の仕事から、agnès b. では、メンズウェアの部門の要職についた、と紹介している。
お金は、他社の服で
トゥイトゥは、創業の頃を、こう振り返っている。銀行には用心していたが、自分の財産はなかった。そこで、A.P.C. の初期の資金のために、ロンドン、トロント、パリの、いくつかのブランドの、ゴーストデザイナーとして働いた。ゴーストデザイナーは、名前を出さずに、他社の服をデザインする仕事である。
最初のジーンズ
一本の指示から
そのうちの1社は、デニムの専門知識が深かった。ある日、そのオーナーが、幅の狭い日本のデニムの反物を、トゥイトゥに渡して、一つだけ指示した。「耳(セルヴィッジ)で、両側の端を縫い合わせてほしい」。

トゥイトゥは、それをスケッチし、型紙にして、近所のお針子の工房で、最初のジーンズを作った。お針子は、この冒険に加われることを、喜んでいたという。
知らなかったから、できたこと
当時のトゥイトゥは、デニムの専門家たちが、こだわる決まりを、いくつも知らなかった。例えば、ウエストバンドは、バイアス(斜め)に裁つべきなのに、地の目(まっすぐ)で裁った。知らなかったので、そのままになった。この「間違い」は、そのまま、ブランドの特徴になった、とブランドは説明している。
広島の織元
生地の出どころを探すと、広島の近くの織元の名前を教えられた。織元は、既に、東京を通じて、A.P.C. の仕事を知っていて、A.P.C. のためだけの生地を、提案してくれた。トゥイトゥは、受け入れた。この生地には、今も、明かしていない秘密がある。30年以上たっても、契約書はなく、織元は、他の会社に、この生地を、売ることを断っている、とトゥイトゥは述べている。

人物から見る
トゥイトゥは、チュニジアの生まれで、子どもの頃に、フランスへ移ったと紹介されている。学校や、料理人など、いくつもの仕事を経たあとで、ケンゾーで、ファッションの世界に入った。遠回りに見える道のりが、そのまま、「ルールを知らないから、できた」という、A.P.C. の考え方に、繋がっているように見える。


