1938年、広島
三宅一生は、1938年に、広島市で生まれた。1945年、7歳のとき、広島への原爆投下で被爆したと、Wikipedia は記している。多摩美術大学を卒業後、1965年にパリへ渡り、オートクチュールの学校で学び、ギ・ラロッシュのもとで働いたとされる。
1970年、自分の事務所へ
1970年に、三宅デザイン事務所を設立した。1971年にニューヨークで海外初のコレクションを発表し、1973年に、パリ・コレクションに初めて参加したとされる。
プリーツへ
公式サイトによれば、イッセイ ミヤケは、1988年にウィメンズコレクションで「プリーツ」を発表した。それを発展させ、PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE が、単独のブランドになった。HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE は、その技法を背景に、2013年に始まった、メンズのブランドである。

PLEATS PLEASE の始まりは、別の記事で読める。
2010年と、2022年
2010年に、文化勲章を受章した。2022年8月5日、肝細胞がんのため、東京都内の病院で亡くなった。84歳だった。

人物から見る
三宅一生の仕事は、一つの服ではなく、服のつくり方その物を、問い直すことだったように見える。プリーツは、その問い直しの、分かりやすい形である。ただし、ここに書いたのは、公開されている資料から読める範囲であり、本人の意図そのものではない。


