プリーツの生地見本、型紙、はさみが並ぶ長い机
THE DESIGNER

三宅一生という人──広島から、プリーツの服まで

1938年に広島で生まれ、1970年に三宅デザイン事務所を設立した。パリ・コレクションへの参加、プリーツ、文化勲章、そして2022年の死去まで。三宅一生の歩みを、年表の形で読む。

文 Shiori Kinugasa | 公開 2026.10.18 | 更新 2026.10.19 | 読了 2分 イメージ画像(AI生成):デザイナーの仕事場のイメージ(実在の場所ではありません)
一枚の布から、服を考えた人。
プリーツも、その一つの答えだった。

1938年、広島

三宅一生は、1938年に、広島市で生まれた。1945年、7歳のとき、広島への原爆投下で被爆したと、Wikipedia は記している。多摩美術大学を卒業後、1965年にパリへ渡り、オートクチュールの学校で学び、ギ・ラロッシュのもとで働いたとされる。

1970年、自分の事務所へ

1970年に、三宅デザイン事務所を設立した。1971年にニューヨークで海外初のコレクションを発表し、1973年に、パリ・コレクションに初めて参加したとされる。

プリーツへ

公式サイトによれば、イッセイ ミヤケは、1988年にウィメンズコレクションで「プリーツ」を発表した。それを発展させ、PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE が、単独のブランドになった。HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE は、その技法を背景に、2013年に始まった、メンズのブランドである。

アトリエの長い机に置かれた、細かいプリーツのチャコールの生地のロール
イメージ画像(AI生成):生地づくりのイメージ(実在の商品ではありません)

PLEATS PLEASE の始まりは、別の記事で読める。

2010年と、2022年

2010年に、文化勲章を受章した。2022年8月5日、肝細胞がんのため、東京都内の病院で亡くなった。84歳だった。

黒、深い緑、紺のプリーツのコートを着た3体のドレスフォーム
イメージ画像(AI生成):アトリエのイメージ(実在の場所ではありません)

人物から見る

三宅一生の仕事は、一つの服ではなく、服のつくり方その物を、問い直すことだったように見える。プリーツは、その問い直しの、分かりやすい形である。ただし、ここに書いたのは、公開されている資料から読める範囲であり、本人の意図そのものではない。

要点

POINTS
  • 1938年に広島市で生まれ、1970年に三宅デザイン事務所を設立した。
  • 1988年にウィメンズで「プリーツ」を発表し、それを発展させて、PLEATS PLEASE が単独のブランドになった。
  • 2022年8月5日に亡くなった。84歳だった。
この記事を書いた人 Shiori Kinugasa
参考資料:三宅一生(Wikipedia 日本語版) https://ja.wikipedia.org/wiki/三宅一生 三宅一生(文化庁「Art Platform Japan」) https://artplatform.go.jp/artists/A1941 PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE 公式ページ(ISSEY MIYAKE INC.) https://www.isseymiyake.com/pages/pleatsplease (公式サイトの確認日:2026年10月17日)

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