生い立ち
1984 マヘラフェルト
ジョナサン・アンダーソンは、1984年9月17日、北アイルランドのマヘラフェルトに生まれた。父のウィリー・アンダーソンは、アイルランド代表のラグビー選手で、母は中学・高校の英語の教師だった。弟もラグビーの選手になった。祖父は、テキスタイルのデザイナーだったという。
子ども時代は、紛争の続く北アイルランドで過ごし、両親が家を持っていた、スペインのイビサ島でも、多くの時間を過ごした。性格の違う二つの場所が、のちの感性を形づくったと、本人はインタビューで語っている。小学生の頃、重い失読症と診断されたことも、明かしている。
英語版Wikipedia が引用する、2015年のガーディアン紙の取材では、今夢中になっている物は、8歳から15歳の頃に触れた物から、一番影響を受けていると思う、と話している。
舞台から、服へ
俳優を目指して
18歳のとき、俳優になろうと、アメリカへ渡った。ただ、そこで、演技よりも、衣装に興味を持つようになる。滞在先は、英語版Wikipedia がニューヨークのジュリアード音楽院と書き、ワシントンの劇場とする資料(WSJ)もあって、はっきりしない。

ダブリンから、ロンドンへ
その後、ダブリンの百貨店ブラウン・トーマスで、ファッションに関わる、最初の仕事に就いた。ロンドンへ移り、2005年に、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを、メンズウェアのデザインで卒業している。
プラダ、そして自分の名前で
卒業後は、プラダで、ビジュアル・マーチャンダイザーとして働いた。店の空間を、どう見せるか。その経験が、のちの、服と空間を合わせて考える姿勢に繋がったと、読むこともできる。2008年、ロンドンで、自分の名前のブランド、JW ANDERSONを始めた。

ブランドの外へ
ロエベ、ディオール
2013年、LVMHが、JW ANDERSONの少数株を取得した際に、アンダーソンは、スペインのロエベのクリエイティブ・ディレクターに就くことが決まった。LOEWE の公式の沿革では、就任は2014年で、2025年まで務めた。2025年には、クリスチャン ディオールの、ウィメンズ、メンズ、オートクチュールの、クリエイティブ・ディレクターに任命された。
2013年の発表のとき、アンダーソンは29歳で、ロンドン東部のダルストンの、小さなスタジオで、仕事をしていた。ロエベについては、世界でも最も古い革製品の老舗の一つで、そこに、卓越した職人技を見つけた、という趣旨を述べている。
衣装の仕事
2023年2月には、歌手のリアーナが、アメリカンフットボールの決勝戦のハーフタイムショーで着た、赤い衣装をデザインした。映画の衣装も手がけ、ルカ・グァダニーノ監督の作品に、衣装デザイナーとして参加している。舞台と衣装への関心は、形を変えて、続いているように見える。
2019 V&Aの評議員
2019年2月からは、4年の任期で、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)の評議員に、任命された。服を作る人であると同時に、服を、美術館の側から支える立場にも、立ったことになる。
評価
2023年には、アメリカファッションデザイナー協議会(CFDA)の「インターナショナル・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。2024年には、タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に入っている。
遠回りに見える経歴は、一つの目的に向かう、まっすぐな道ではなかった。けれど、俳優、衣装、店の空間、服。人に見られる物を、全て経験したことが、この人の仕事の幅の広さを、支えているのかもしれない。これは、編集部の見方である。


