始まり
1946年、モンテーニュ通り30番地
Dior の公式の沿革によれば、クリスチャン・ディオールと実業家のマルセル・ブサックは、力を合わせて、クリスチャン・ディオールのクチュールの家を作った。1946年12月16日に、パリのモンテーニュ通り30番地に開き、アトリエは3つ、人は85人だった。Precious によれば、ディオールは、直前に、別の店から芸術監督の話があったが、断って、自分の名で始めた。

ニュー・ルック
1947年2月12日
公式の沿革によれば、最初のコレクション(1947年春夏)は、2月12日に、モンテーニュ通り30番地のサロンで発表された。ハーパーズ バザーの編集長 Carmel Snow は、「あなたの服は、なんて新しい形(New Look)なのでしょう」と言った。服の形は、別の記事で読める。
創業者の死
1957年
公式の沿革は、クリスチャン・ディオールが、1957年10月24日の夜に、イタリアのモンテカティーニで、心臓発作で亡くなったと書く。本人の意向に沿い、イヴ・サンローランが、クリエイティブ・ディレクターに就いた。その後のディレクターたちは、別の記事で読める。

LVMH のもとで
1984年から
Wikipedia によれば、1984年12月に、ベルナール・アルノーの投資グループが、象徴的な1フランで、会社を取得した。1985年に、アルノーが会長兼 CEO に就いた。1995年に、オートクチュールの部門が、子会社の Christian Dior Couture として分かれた。2023年には、デルフィーヌ・アルノーが、会長兼 CEO に就いた(Wikipedia)。LVMH の公式ページも、デルフィーヌ・アルノーを、クリスチャン ディオールの CEO と書く。
70周年と、La Galerie Dior
公式の沿革によれば、2017年に、創業70周年の展覧会「Christian Dior: Designer of Dreams」が、パリの装飾美術館で開き、その後、世界を巡った。2022年には、生まれた場所のモンテーニュ通り30番地に、La Galerie Dior が開いた。
2025年
FASHIONSNAP によれば、2025年4月17日に、ジョナサン・アンダーソンがメンズのアーティスティック・ディレクターに、6月2日に、ウィメンズとオートクチュールのクリエイティブ・ディレクターに起用された。公式の沿革も、アンダーソンを、創業者以来、全てのコレクションを手掛ける初めてのクリエイティブ・ディレクターと書く。
今、読むなら
創業者の歩み、ニュー・ルックとバー、歴代のディレクター、2026年の今は、別の記事で読める。


