コンクリートと白壁の空間に、黒い上着と白いシャツが掛かり、床に蛍光の橙のコードがある
SINCE 1986

HELMUT LANG、1986年にパリで始まった、ミニマリズムの歩み

ウィーンのアトリエから、1986年のパリのレーベルへ。ニューヨークへの移転、プラダとの10年あまり、2005年の創業者の退任、リンク・セオリーのもとでの再出発、2023年のピーター・ドゥまで。HELMUT LANG の歩みを、MAK、FASHIONSNAP、Wikipedia から読む。

文 Shiori Kinugasa | 公開 2026.11.05 イメージ画像(AI生成):コンクリートのスタジオのイメージ(実在の場所、商品ではありません)
ショーを、見世物にしなかった。
日常の服を、ランウェイに載せた人が始めたブランド。

始まり

ウィーンのアトリエ、パリのレーベル

Wikipedia によれば、ヘルムート・ラングは、独学でファッションを身につけ、1977年にウィーンでオーダーの工房を開き、1979年、23歳のときに、同じ街でブティックを開いた。オーストリア政府の発案で、パリのポンピドゥー・センターの展覧会に作品を出した後、1986年にパリへ進出し、「Helmut Lang」のレーベルを始めた。ウィーンの MAK も、その仕事を「1986–2005」の年で示している。

メンズは1987年に始まり、10年後にレーベルの拠点を、ウィーンからニューヨークへ移した(Wikipedia)。

1990年代

ミニマルな線と、ニューヨーク

Wikipedia は、1980年代の終わりから、鋭い線と丁寧な裁断の、ミニマルなシルエット、黒や白の細身のスーツ、デニム、ハイテクな素材で、名を知られたと書く。1997年にニューヨークへ移り、翌1998年に、ソーホーに会社の本拠を置いた。1998年4月には、ニューヨークでの発表の3日前に、コレクションを、自社のウェブサイトで、インターネット中継した。ファッション界で初めてだったと、同じ資料は書く。

白い壁の簡素なアトリエの裁断台に、黒いウールと裁ちばさみが置かれている
イメージ画像(AI生成):パリのアトリエのイメージ(実在の場所、商品ではありません)

プラダとの時代

1999年に、プラダグループが、ヘルムート・ラング社の51%を取得した。ラングは、デザインと広告を握り続けた(Wikipedia)。その後、プラダは、靴、ベルト、鞄などのアクセサリーを展開し、香港とシンガポールに店を開いたが、売上は、1999年の約1億ドルから、2003年には約3700万ドルへ落ちた、と Wikipedia は書く。2004年10月に、ラングは、残りの株を売り、2005年1月に、自分のレーベルを離れた。

2006年から

再出発

Wikipedia によれば、2006年3月に、プラダは、東京のリンク・セオリー・ホールディングスに、ブランドを売ると発表した(約2000万ユーロ)。2007年春夏のシーズンから、新しいデザイナーのもとで、再び発表された。創業者は、再出発に関わっていないという。2007年3月には、東京・青山に、プラダ以後で最初の旗艦店が開いた。

FASHIONSNAP の2024年の記事は、HELMUT LANG を、「ファーストリテイリンググループのブランド」と書き、ブランドを擁するのは、リンク・セオリー・ジャパンだと伝える。

黒いウールの縫い目に、白い糸が一本通っている
イメージ画像(AI生成):黒いウールの縫い目のイメージ(実在の場所、商品ではありません)

2010年代から2020年代

デザイナーを置かない時期と、ピーター・ドゥ

Wikipedia によれば、2014年に、2006年から率いてきた二人のクリエイティブ・ディレクターが退いた。2017年には、デザイナーの代わりに、エディター・イン・レジデンスを置く体制になった。人の流れは、「クリエイティブ・ディレクター」の記事で読める。2023年5月、FASHIONSNAP の記事は、ピーター・ドゥが、クリエイティブ・ディレクターに起用されると伝えた。2024年11月に、ドゥは退任した。

アーカイヴの展覧会

ウィーンの MAK は、HELMUT LANG の公式のアーカイヴを、2011年から所蔵する。2025年12月10日から2026年5月3日まで、「HELMUT LANG. SÉANCE DE TRAVAIL 1986–2005」展を、同館の下の展示ホールで開いた。詳しくは、「2026年の今」の記事で読める。

要点

POINTS
  • ヘルムート・ラングは、1977年にウィーンでオーダーのアトリエを開き、1986年にパリで「Helmut Lang」のレーベルを始めた(Wikipedia)。ウィーンの MAK は、その仕事を「1986–2005」の年で示す。
  • 1997年にニューヨークへ移り、1999年にプラダが過半の株を取得した。2005年に創業者はブランドを離れ、2006年にリンク・セオリー・ホールディングスが取得した(Wikipedia)。
  • 2023年5月にピーター・ドゥがクリエイティブ・ディレクターに就き、2024年11月に退任した(FASHIONSNAP)。2025年12月から、MAK が、公式アーカイヴの展覧会を開いた(MAK)。
この記事を書いた人 Shiori Kinugasa
参考資料:MAK Museum Vienna「HELMUT LANG. SÉANCE DE TRAVAIL 1986–2005」 https://www.mak.at/exhibition/helmutlang Wikipedia「Helmut Lang (fashion brand)」 https://en.wikipedia.org/wiki/Helmut_Lang_(fashion_brand) Wikipedia「Helmut Lang (artist)」 https://en.wikipedia.org/wiki/Helmut_Lang_(artist) FASHIONSNAP「「ヘルムート ラング」のクリエイティブディレクターにピーター ドゥが就任」(2023年5月11日) https://www.fashionsnap.com/article/2023-05-11/helmutlang-peterdo/ FASHIONSNAP「ピーター・ドゥが「ヘルムート ラング」を去る わずか1年半で」(2024年11月16日) https://www.fashionsnap.com/article/2024-11-16/peter-do-leaves-helmut-lang/ (確認日:2026年11月3日。公式サイトの沿革は読めなかった。創業の年は、資料で分かれる(検索結果に、1976年、1977年とするものがあり、Wikipedia と MAK は1986年のレーベルとする)。本文は、Wikipedia の記述(1977年にアトリエ、1986年にレーベル)に従い、MAK の「1986–2005」で補った。買収の経緯は、Wikipedia の記述で、日本側の持ち主は、FASHIONSNAP の2024年の記事が、「ファーストリテイリンググループのブランド」、「リンク・セオリー・ジャパンが擁する」と書く)

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