漆喰の壁に立てかけた、レース用の自転車と、青いジャージ
THE DESIGNER

サー・ポール・スミスという人──自転車少年が、店の主人になるまで

資格なしで学校を出て、衣料品倉庫の使い走りから始めた。自転車選手の夢と、事故、美術大学の友人たち。ポール・スミスの来歴を、Design Museum などの資料でたどる。

文 Shiori Kinugasa | 公開 2026.10.17 | 更新 2026.10.23 | 読了 3分 イメージ画像(AI生成):自転車好きのイメージ(実在の商品ではありません)
デザインも、商売も、ほどほどだと言う人が、
どちらも、手放さなかった。

ノッティンガムの少年

ポール・スミスは、1946年、ノッティンガムに生まれた。15歳で、資格を持たずに学校を出た。そのとき、父のハロルドに、衣料品倉庫へ連れていかれ、使い走りの仕事に就いた。ポール自身は、自分を、「デザインも、商売も、まあまあだが、どちらも、突出してはいない」と表現したこともある、と Design Museum は紹介している。

自転車と、事故

当時の夢は、プロの自転車選手になることだった。17歳頃まで、人生は、自転車を中心に回っていた。しかし、事故で、半年入院し、その夢は、終わった。回復の間に出会った、新しい友人たちが、色彩に満ちた、アイデアの世界を見せてくれた。

話題は、モンドリアン、ウォーホル、ココシュカ。音楽は、ローリング・ストーンズや、マイルス・デイヴィス。事故は、人生を変えたが、自転車への愛は、続き、デザインの随所に、その姿が散りばめられている。

美術書、レコード、筆立てが並ぶテーブルと、色鮮やかなスカーフとニット
イメージ画像(AI生成):アートと音楽のイメージ(実在の商品ではありません)

倉庫から、店へ

事故のあと、倉庫の仕事に、打ち込むようになった。美術大学の人たちと出会い、アートとファッションに、関心が向いた。ショールームの陳列を始めると、評価され、まだ17歳で、メンズウェアの仕入れを、任された。やがて、美術大学の友人が、ブティックを開くことになり、場所を探し、内装をして、店長を務めた。

シャツやニットが積まれた、古い衣料品倉庫の棚
イメージ画像(AI生成):倉庫での仕事のイメージ(実在の商品ではありません)

1970 一人で、始める

1970年、恋人のポーリーン・デナイヤーに励まされ、貯金の600ポンドで、ビヤード・レーンに、自分の店を開いた。家賃は、週50ペンス。最初の週の売上は、52ポンドだった。夜は、ファッションデザインの講座に通った。ケンゾーや、マーガレット・ハウエルなどの服を売る、ロンドン以外で唯一の店でもあり、やがて、自分でデザインした服も、地元の工場で作って、並べるようになった。

「クラシックに、一捻り」

ポール・スミスは、自分の服を、「クラシック・ウィズ・ア・ツイスト」と呼ぶ。上流階級の仕立てや、手縫いのスーツなどの材料に、「ばかばかしいもの」を足す。着る人が、着たいと思い、心地良いと感じる服。「よくできた、品質の良い、シンプルな型、面白い生地、着やすい。くだらないことのない服」と、本人は言う。詳しくは、別の記事で読める。

人物から見る

遠回りに見えた道のりは、そのまま、ブランドの考え方になっている。偶然から始まり、友人の影響で広がり、自分が着たい服を、作り続けた。「あらゆるものに、インスピレーションを見つけられる」という言葉は、この道のりから生まれたように見える。

要点

POINTS
  • 1946年生まれ。15歳で学校を出て、衣料品倉庫で働いた。自転車選手の夢は、事故で終わった。
  • 1970年、貯金の600ポンドで、ビヤード・レーンに自分の店を開いた。
  • 自分の服を、「クラシック・ウィズ・ア・ツイスト」と呼ぶ。
この記事を書いた人 Shiori Kinugasa
参考資料:Design Museum「Paul Smith」 https://designmuseum.org/designers/paul-smith Google Arts & Culture「The Career of Sir Paul Smith」(British Fashion Council) https://artsandculture.google.com/story/the-career-of-sir-paul-smith-british-fashion-council/HgXRYCD8C3pHIg?hl=en Paul Smith 公式サイト「Company History」 https://www.paulsmith.com/uk/info/company-history (確認日:2026年10月17日)

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