12歳
DIME によれば、吉田吉蔵は、12歳で、カバン職人になるための修業を始めた。WWD JAPAN も、同じく12歳と書く。
17歳、関東大震災
DIME によれば、17歳のとき、関東大震災に遭い、家財を、ひもの両端に結び、肩に掛けて運び出した。この経験から、カバンは、第一に荷物を運ぶ道具でなければならない、と考えるようになった。
1935年、独立
WWD JAPAN によれば、吉蔵は、29歳で独立し、職人の工房が集まる神田須田町で、吉田鞄製作所を始めた。DIME は、使うほどに馴染み、長く使えるカバンを目指した、と書く。
映画『天国と地獄』
吉田カバンの公式サイトは、1963年に公開された黒澤明監督の映画『天国と地獄』を、吉田カバンの歴史に欠かせない一本と書く。吉蔵は、劇中の重要な小道具を請け負い、特急こだまの身代金の受け渡しの場面で使う、革のブリーフケースを、一から作った。表面には、カービングで草花の模様を施し、映画には映らない内側にも、ファスナーのポケットを付けた。作られたのは3つで、劇中で使った2つは焼失し、残る1つが、2023年3月に開いた旗艦店「PORTER TOKYO」に、展示されている。公式サイトは、黒澤明と吉蔵を、一切の妥協を許さない2人の男と呼ぶ。
戦争と、リヤカー
WWD JAPAN によれば、吉蔵は、戦争中に召集された。神田須田町の倉庫に隠した道具は、空襲を免れ、戦後すぐに仕事を再開できた。吉蔵は、リヤカーで、カバンを銀座に運び、直接売った。このリヤカーは、今も吉田の本社にある。FASHIONSNAP によれば、2025年11月の90周年の展覧会には、リヤカーや、映画『天国と地獄』のために作ったカバン、馬蹄形の小銭入れ、トランクなど、吉蔵の時代のアーカイブが並び、初めて公に見せるものもあった。

遺した言葉
WWD JAPAN は、吉蔵が、後を継ぐ社員に、「日本の職人さんを絶やさないでくれ」と頼んだと書く。吉田カバンのプレスリリースは、創業者の考えとして、「鞄とは第一に荷物を運ぶ道具でなければならない」を引いている。


