ピアチェンツァから、ミラノへ
WWD JAPAN によれば、ジョルジオ・アルマーニは、1934年7月11日に、イタリアのピアチェンツァで生まれた。CNN.co.jp は、ファッションに仕事として関わる前に、医学を学び、兵役を終えていたと書く。Wikipedia は、1953年に、ミラノ大学の医学を離れて、軍に入ったと書く。
1957年、ラ・リナシェンテ
WWD JAPAN と CNN.co.jp によれば、1957年に、ミラノの百貨店ラ・リナシェンテに入り、ミラノのファッションの世界との縁が始まった。

チェルッティのもとで
CNN.co.jp によれば、1964年に、デザイナーのニーノ・チェルッティが、アルマーニに、メンズのデザインの仕事を与えた。ここで、後に磨き上げる、芯のない上着に出会い、建築家のセルジオ・ガレオッティと出会った。Wikipedia は、1960年代の半ばに、チェルッティの会社に移ったと書き、年は、1年ほど違う。
1975年、ブランド
WWD JAPAN は、1975年に、41歳で、自分の名のブランドをミラノで始めたと書く。CNN.co.jp は、ガレオッティが背中を押したと書き、1976年に、ニューヨークの百貨店バーニーズが、取り扱いを始めたと伝える。
ガレオッティの死
CNN.co.jp によれば、1985年に、ガレオッティがエイズで亡くなり、アルマーニは、会社の唯一の株主になった。同記事は、LVMH やケリングのような大きなグループが中心の業界で、アルマーニは、自分の会社を、独立して持ち続けた数少ないデザイナーだったと書く。
栄誉
WWD JAPAN によれば、2019年に、東京国立博物館で、ジョルジオ アルマーニのプレスプリングのショーを開くため、12年ぶりに来日した。2021年には、イタリアの民間功労の最高の栄誉を受けた。
2025年
FASHIONSNAP によれば、ブランドは、9月4日に、91歳で亡くなったと発表した。スタッフと家族の声明は、彼を、社員が呼ぶ名「Il Signor Armani(アルマーニ氏)」で呼び、家族に囲まれて穏やかに亡くなり、最期の日々まで、会社とコレクションと、これからの計画のために働いたと述べた。弔問所は、9月6日と7日に、ミラノに開かれ、葬儀は、本人の希望で、私的に行われた(FASHIONSNAP、WWD JAPAN)。
仕事について
WWD JAPAN は、アルマーニの言葉として、「私にとって仕事とは、自身を表現し、絶え間なく創造性を発揮すること」を伝えている。


