俳優から、テーラーへ
1965 アレンタウンに生まれる
トム ブラウンは、1965年、アメリカのペンシルベニア州アレンタウンに生まれた。ノートルダム大学で学び、卒業後は、ロサンゼルスで、俳優として活動した。ノートルダム大学の発表は、ビジネスの学位を1988年に取得したと書いている。経済学とする資料もある。
ニューヨークへ
1997年にニューヨークへ移り、アルマーニの卸売ショールームで、販売の仕事に就いた。その後、クラブ・モナコの商品開発のチームに加わり、デザインの部門を数年間率いた。服の世界に入ったのは、決して早くはなかった。
2001 5着のスーツ
ウエスト・ヴィレッジの小さな店
2001年、ニューヨークのウエスト・ヴィレッジにある、予約制の小さな店で、ブランドが始まった。最初に手がけたのは、5着のスーツだった。

ただし、始まりの年は、資料によって、2001年、2002年、2003年に分かれる。公式サイトの紹介文は2001年と書き、年表には、5着のスーツを初めてデザインしたのは2003年ともある。
WWD の記事(2013年頃)では、2002年に、自分のアパートで、予約制のスーツの事業を始めたと、本人が語っている。このサイトでは、「2001年頃に、予約制のオーダーメイドのスーツで始まり、2003年に既製服が加わった」と整理して書く。
短く、細く
ブランドを象徴するのは、グレーのスーツである。丈を詰め、体に沿わせたシルエットで、「シュランクン(縮んだ)・スーツ」と呼ばれる。伝統的なプロポーションに疑問を投げかけ、現代の「ユニフォーム」という考え方を刷新してきたデザイナーとして、トム ブラウンは知られている。

広がるブランド
2005 最初のランウェイ
2005年、ニューヨークで、初めてのメンズのランウェイショーを開いた。同じ年には、デヴィッド・ボウイのためのオーダーメイドのスーツや、映画『ステイ』の衣装も手がけた。
2006 トライベッカの旗艦店と、受賞
2006年、トライベッカに、初めての旗艦店を開いた。同じ年に、アメリカファッションデザイナー協議会(CFDA)の、メンズウェア・デザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。受賞は、2013年、2016年、2025年にも続く。
ブルックス ブラザーズとの仕事
2006年、ブルックス ブラザーズは、トム ブラウンに、小さな専門のコレクション「ブラック・フリース」の制作を依頼した。伝統的なアメリカのブランドと、新しい感性が出会った仕事だった。
世界へ
2013 東京・青山
2013年、東京・青山に、初めての海外の旗艦店を開き、2013年から2017年にかけて、ロンドン、ソウル、香港、上海、北京、ミラノにも店を出した。2017年には、ニューヨークで、メンズの店に隣接するウィメンズの旗艦店を開き、2018年には、マイアミにも旗艦店を開いている。
ウィメンズのはじまり
ウィメンズの始まりは、2011年とも2012年とも書かれていて、年号が揃っていない。2011年に、パリで初めてショーを行ったことは、年表にも書かれている。
2018 ゼニアとの提携
2018年8月、エルメネジルド ゼニア グループが、トム ブラウンの株式の85%を取得した。取引の評価額は、約5億ドルと報じられている。トム ブラウン本人は、残りの株式を持ち、チーフ・クリエイティブ・オフィサーとして、デザインを続けた。ゼニア グループの持ち株は、今では92%になっている。
2023 パリのオートクチュール
2023年1月1日、トム ブラウンは、CFDAの会長に就任した。この年には、パリで、初めてのオートクチュールのコレクションも発表している。
2026 ワールドカップ決勝
2026年7月19日、FIFAワールドカップの決勝(ニューヨーク・ニュージャージー・スタジアム)で、米国国歌を歌ったジェニファー・ハドソンが、THOM BROWNE. の特注の衣装を着た。白のシルク・クレープのジャケットと、スクエアネックのコルセット、床まで届くペンシルスカートの3点で、ネイビーのパイピングと、左の袖を巻く赤・白・ネイビーの帯が入っている。
今、身に着けるなら
歴史を知ったうえで、一点を選ぶなら、このブランドの「記号」が、はっきり出た物が分かりやすい。グレーのスーツの文法、袖の4本線、赤・白・青のタブ。それぞれの由来や意味は、別の記事で、一つずつ読んでいく。


